みなさんの座右の銘は何ですか?
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とぜんなかっ隊の『しぇ』も鹿児島に行ったみたいですが、昨年末私も鹿児島へ行きました。
その際に立ち寄った『維新ふるさと館』。
このふるさと館には、鹿児島が生んだ先人の偉業が立ち並んでいます。日本国歌『君が代』を作った島津斉彬公・篤姫などの江戸末期時代、西郷隆盛公・大久保利通公などの明治維新時代、東郷平八郎元帥等の明治時代と日本国家の礎・維新時代を支えた記録が満載です。
そこで、私の目に留まったのが、西郷隆盛公の『敬天愛人』と、大久保利通公の『為政清明』。
この二人の人物形がにじみ出た感がします。
(西郷隆盛公のことは、先日の佐賀新聞の有明抄にも載ってました。)
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『敬天愛人』・・・
天を敬(うやま)い、人を愛すると読みます。敬天、つまり天を敬うということは、人には天から与えられた、天命、というものがあり、それに従って、人は生きているのである。だからこそ、人はまず天を敬うことを目的とするべきである。
天というものは、仁愛、すなわち人々を平等に、かつやさしく愛してくれるものであるので、天命、というものを自覚するのであれば、天が我々を愛してくれるように、人は自らも他の人に対して、慈愛、を持って接することが何よりも必要である。この敬天と愛人とは、実は同じ意味を持つ、相通じるものであるのです。
西郷隆盛公は、明治政府に降伏した庄内藩士に対して、寛大な処置を施すように指示したことが、庄内藩士の感銘を受け、後世にその記録を遺そうとして今に至ります。
西郷隆盛公の寛大さ、器の広さが窺い知れます。
一方の、大久保利通。
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『為政清明』・・・
政治(まつりごと)をするには、清くかつ明瞭でなければならない。国家創業の折には、難事は常に起こるものである。そこに自分ひとりでも国家を維持するほどの器がなければ、つらさや苦しみを耐え忍んで、志を成すことなど、できはしないと。
大久保利通は、金銭には潔白で私財をなすことをしなかった。逆に予算のつかないが必要な公共事業に私財を投じ、国の借金を個人で埋めていた。死後は多くの借金が残った。ただし残った借財の返済を遺族に求める商人はいなかった。これは、明治8年、岩倉具視への手紙の一文である。
冷静で寡黙だった大久保は、国家創業の大儀のために冷血を貫いた。暗殺された時、手には西郷隆盛からの手紙を持っていたといわれています。
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温厚で他人から愛された西郷隆盛。理論家の大久保利通と、この二人が同郷であったからこそそれぞれの道を極めたのではないでしょうか。
みなさんの身近にもいるかも知れませんよぉ。刺激し合える人が・・・。
みなさんの参考になれば幸いです。
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とぜんなかっ隊の『しぇ』も鹿児島に行ったみたいですが、昨年末私も鹿児島へ行きました。
その際に立ち寄った『維新ふるさと館』。
このふるさと館には、鹿児島が生んだ先人の偉業が立ち並んでいます。日本国歌『君が代』を作った島津斉彬公・篤姫などの江戸末期時代、西郷隆盛公・大久保利通公などの明治維新時代、東郷平八郎元帥等の明治時代と日本国家の礎・維新時代を支えた記録が満載です。
そこで、私の目に留まったのが、西郷隆盛公の『敬天愛人』と、大久保利通公の『為政清明』。
この二人の人物形がにじみ出た感がします。
(西郷隆盛公のことは、先日の佐賀新聞の有明抄にも載ってました。)
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『敬天愛人』・・・
天を敬(うやま)い、人を愛すると読みます。敬天、つまり天を敬うということは、人には天から与えられた、天命、というものがあり、それに従って、人は生きているのである。だからこそ、人はまず天を敬うことを目的とするべきである。
天というものは、仁愛、すなわち人々を平等に、かつやさしく愛してくれるものであるので、天命、というものを自覚するのであれば、天が我々を愛してくれるように、人は自らも他の人に対して、慈愛、を持って接することが何よりも必要である。この敬天と愛人とは、実は同じ意味を持つ、相通じるものであるのです。
西郷隆盛公は、明治政府に降伏した庄内藩士に対して、寛大な処置を施すように指示したことが、庄内藩士の感銘を受け、後世にその記録を遺そうとして今に至ります。
西郷隆盛公の寛大さ、器の広さが窺い知れます。
一方の、大久保利通。
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『為政清明』・・・
政治(まつりごと)をするには、清くかつ明瞭でなければならない。国家創業の折には、難事は常に起こるものである。そこに自分ひとりでも国家を維持するほどの器がなければ、つらさや苦しみを耐え忍んで、志を成すことなど、できはしないと。
大久保利通は、金銭には潔白で私財をなすことをしなかった。逆に予算のつかないが必要な公共事業に私財を投じ、国の借金を個人で埋めていた。死後は多くの借金が残った。ただし残った借財の返済を遺族に求める商人はいなかった。これは、明治8年、岩倉具視への手紙の一文である。
冷静で寡黙だった大久保は、国家創業の大儀のために冷血を貫いた。暗殺された時、手には西郷隆盛からの手紙を持っていたといわれています。
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温厚で他人から愛された西郷隆盛。理論家の大久保利通と、この二人が同郷であったからこそそれぞれの道を極めたのではないでしょうか。
みなさんの身近にもいるかも知れませんよぉ。刺激し合える人が・・・。
みなさんの参考になれば幸いです。
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by toshi19711023
| 2011-02-24 07:18